アイドルはゴールデンウィークの夢を見るか?/「夜は空いてる」考察と感想
あなたにとって『アイドル』とはどんなものでしょうか。
私が秋元康だったら、「アイドルとは、亀梨和也のことである」って帯書いてた
— なるみ (@_sukiMeRo25) 2022年5月3日
私は性別や次元を問わずアイドルという概念が大好きなのですが、今年のKAT-TUNのライブツアーであるHoneyで見た亀梨くんの表情や表現や歌声のひとつひとつがあまりにも魅力的で、『アイドル』のイデアがあるのならそれは亀梨和也の形をしていてほしいと思って終演後に上のツイートをした。私の担当は上田竜也くんなのだけど、亀梨くんの完璧なアイドルっぷりにはいつも惹かれてしまう。
そんな亀梨くんの今年のソロ曲『夜は空いてる』の演出(と歌詞)は、一度見ただけではなかなかかみ砕けず、最初に見てからその次の公演のある翌日まであれはどういった意味をもつのだろうと考え込んでしまうようなものだった。代々木の5公演を通して自分なりの解釈が固まったため、ここに残しておきたい。
結論から言うなら、私はこの曲をアイドルの亀梨和也からファンに向けた祈りの曲だと思った。亀梨くんに限らず、アイドルとファンの関係を歌った曲であると思うが、亀梨くんが歌うことに大きな意味があると感じている。
いらないの?いてよ
『夜は空いてる』の中では「いらないの?いてよ」というフレーズが何度も繰り返されるが、「いらないの?」のあとに「いてよ」という言葉が来るのはすこし不自然だ。「いらないの?」と何かの要不要を問うなら、続くのは「必要としてほしい」という内容であるほうが自然だろう。「いてよ」というここにいることを要求する言葉でも意味が通らなくはないが、やや違和感が残る。ライブに行くまではそれを不思議に思っていたが、これがアイドルとファンの関係を歌った曲であると解釈してからは腑に落ちた。
アイドルは、自分からファンに会いに行くことはできない。ライブやイベントを全国各地でやったとしても、そこにファンが足を運んでくれなければ会えず、ある意味待っていることしかできない。「いらないの?いてよ」は、「捨てないで、変わらずここ(ライブ会場)にいてよ」というアイドルからファンに向けられた祈りだ。
少し脱線するが、私が=LOVEという今大人気のアイドルグループの楽曲の中で一番泣けると思っている『現役アイドルちゅ~』という曲がある。曲調や歌詞はポップで楽しく、アイドルをやっている女の子の心情を歌ったかわいらしい曲なのだが、
なーたんは そう 早起きして
2人の時間を
(楽しみにしてるから)
握手会 コンサート 会いに来て
君のハッピーなその顔 ずっと覚えているわ
今週も 来週も 会いたいなぁ
オシャレなお洋服も準備して待ってるね
という一節に涙腺が刺激されてしまう。これはオタクなんかに会いたいと言ってくれる優しい嘘に泣けるというのはもちろんだが、アイドルはファンが会いに来るのを待つことしかできず、もし仮に(万が一)もう来なくなったファンにまた会いに来てほしいと思ってもアイドルの側からできることなどなにもないという部分に切なさを覚える。
明日もあいしたい baby
腕の中にいてよ
小さな愛の面影が消えちゃう
愛しかない世界に いるから
いらないの?
アイドルというお仕事はたくさんの人に愛されるお仕事であると同時に、たくさんの人を愛するお仕事だ。
ライブで『夜は空いてる』を聞きながら、ふと『推しが武道館いってくれたら死ぬ』のあるページを思い浮かべた。
(『推しが武道館いってくれたら死ぬ』5巻P148)
もし自分の愛を受け取ってくれる人が一人もいなくなれば、アイドルは存在できない。ファンは推しているアイドルが目の前からいなくなってもなんだかんだで生きていくことができるが、アイドルはファンが一人もいなくなってしまったら、アイドルとしては死んでしまう。そんな中で、何度も「愛させて」と静かに歌っているのがこの曲だとしたら切ないな……と感じる。
曲の最後、アウトロの途中で曲が止まって真っ白な照明がついて、亀梨くんのいる部屋のセットに白い布がかけられ、ほとんどの家具は持ち去られてしまう。亀梨くんはそれまで座っていた一人掛けのソファを立ち、ただ部屋が空っぽになっていくのを見つめている。部屋には白い布のかけられたソファだけが残り、そこに再び亀梨くんが座って照明が消え、アウトロの続きが流れて曲が終わる。この演出がどういった意図なのかいろいろと考えたけれど、私には「消費されること」を表現しているように感じられた。ありとあらゆるものを差し出して消費されて、なにも残っていなくても、それでもアイドルでいる以上はステージに立ち続けて消費され続けなければならない。なにもない部屋で白い布がかけられたソファにぽつんと座っている姿は、すり減ってもすり減ってもファンに愛を差し出し続けるアイドルを表しているのだと思った。
アイドルをやめて一人の人間として生活すれば、たとえ誰からも愛されなくても誰も愛さなくても存在できるし、他者に消費される必要もない。けれど、アイドルとしての自分と人間としての自分がすっかり癒着してしまって、切り離せなくなってしまっていたらどうなるのだろうか。
5/4の代々木公演で、東京公演をやるのはかなり久しぶりという話題から、ホテルじゃなくて自宅に帰って朝また来るのは不思議な感じがするよね、という話になった。そのとき亀梨くんが「(朝起きて)そうだ、亀梨やらなきゃって……」と言ったのがとても印象的だった。「アイドルやらなきゃ」ではなく、「亀梨やらなきゃ」なんだ……と思い、少し驚いて、それから亀梨くんが日ごろから背負っているものの大きさを想像した。ジャニーズはだいたいみんな芸名ではなく本名だとどこかで聞いたことがあって(違ったらすみません)、それなのに亀梨くんにとって「亀梨」は人間の亀梨和也ではなくアイドルの亀梨和也を指しているのだろうか、と心配にもなった。
私はKAT-TUNを好きになるまでジャニーズのことを全然知らず、KAT-TUNが何人組かも知らなかったのだけれど、KAT-TUNが亀梨くんのいるグループだということだけは認識していた。それほどに亀梨くんはKAT-TUNの顔で、秋元康風に言うなら、「KAT-TUNとは亀梨和也のことである」と言っても過言ではないはずだ。10周年のライブで、「KAT-TUNの亀梨和也でいなくてはと思うこともあった」と話してくれたことも記憶に残っている。常にKAT-TUNの先頭に立ち、完璧なアイドルでいることの重圧はどれほどのものだろう。そんな風に17年以上も生きていたら、アイドルの亀梨和也と人間の亀梨和也の境目を見つけるのはどんどん難しくなっていくのかもしれない。そんな亀梨くんが祈るように「愛させて、ここにいて」と歌うから、こんなにも見る人の心を揺さぶるのだと思った。
これは余談なのですが、「アイドルと消費」というテーマで記憶に新しいのは昨年秋に上田くんが出演していた舞台『Birdland』である。上田くん演じるポールは大人気のロックスターで、たくさんの人に愛され、消費されながら狂っていく。作中では暗に「ポールを苦しめているのはお前ら消費者だ」と何度も客席に語り掛け、終盤ではポールが怯えながら「あいつらが俺を見てる……」と客席を指さし、客電が点く演出がされる。
私はこの舞台が本当に無理でした……
「愚かなジャニオタに真実を教えてやる」という作り手のドヤ顔が透けて見えるようでうんざりしたし、そもそも「アイドルと消費」なんてこの令和の世ではベタベタに手垢のついたテーマでこんな陳腐な表現をされましても……と思った。ドヤ顔したいならあと5回くらい捻ってほしいし、今Twitterで大流行中の漫画ガチ恋粘着獣のほうが100倍くらい的を得ている。
まぁあんまりBirdlandの悪口書くのもあれなのでこれくらいにしておきますが、今年のツアーでの上田くんのソロ曲(Lollipop)は明らかにBirdlandから着想を得たものだった。けれど、上田くんが目をつけたのは「消費」というテーマではなくポールの狂気のほうで、そこに上田くんの感性を感じて面白かったし、「消費」をテーマにした(と私は思っている)ソロ曲をやるのが亀梨くんなのが興味深いなと思った。
また、代々木公演のMCでもうひとつ印象的な会話があった。世間はゴールデンウィークだという話から、「土日はやっぱり外に出づらいよね、時間とかにも気を使うし……」と亀梨くんが言ったのに対し、上田くんは「特に気にしたことがない」と答えたのだ。上田くんは過去のキャラ変がたびたび話題に上がるように「こういう自分でありたい」という強固な理想があってそこに突き進んでいくが、アイドルとしての自分を作り込むようなことはしない。それに対し、亀梨くんはどこまで計算でアイドルをやっていてどこまでが素なのかわかりづらくて、そんなところがとてもアイドルらしいと感じられる。今回のツアーで偶然にもふたりのそんな対比が見られたのが良かった(中丸くんはソロ曲のために衣装替えに行っていていなかったのだが、もし中丸くんがいたらどんな返答をしていたのか聞いてみたかったなと思う)。
こうして好き勝手なことを書くのも消費のうちで、あまり良くないことをしているのだろうなと思う。けれど私はアイドルがいなくてはこのつまらない世界をとても生きていけないし、アイドルだってアイドルとして生き始めてしまったからには誰かに消費されなくてはアイドルでいられない。亀梨くんが「いてよ」と言ってくれる限りは、(できる限り負担にならない形で)ファンでいたいなあと思う。
あとは細々とした演出の話なのですが、亀梨くんのステージと客席の境を曖昧にして新しい空間を作り上げるような演出が好きだ。
『夜は空いてる』と似たようなテーマを扱ったソロ曲で『CAN'T CRY』があるが、私はこの曲の演出も大好きである。1番を客席で歌ったり、2番は丸々ステージで歌わずコンサート会場のロビーで撮った映像を流したりと挑戦的であり、気がつけば曲の世界観に没入している。
今回の『夜は空いてる』での特に好きな演出は、モニターに夜の歩道橋の映像を流し、それに合わせて花道でオレンジ色のぼんやりとしたライトが光っている演出だ。客席はペンライトを消していて、他の照明も消えているので、本当に夜道のような薄暗さでライブ会場でこんな風景が見られることが新鮮で面白く、また先ほどまでいたライブ会場とはまた違う場所にいるように感じられる。
それから、亀梨くんのいつもあんなに強くてかっこよくてKAT-TUNらしいのに、『夜は空いてる』で見せるような儚くてとても触れられないような表現もできる振れ幅も好きです。成人男性を見て消えてしまいそうだ……と思うのは亀梨くんを見たときだけ……。
亀梨くんの作る世界をもっともっと見たいし、次のツアーのソロ曲も楽しみです。さすがに気が早い。
何もかもが嫌になったから新潟にKAT-TUNを見に行った
何もかもが嫌になったから新潟にKAT-TUNを見に行った。
個人的な日記なので特にコンサートのレポ的なあれではないです。
何もかもが嫌になった、と言ったけど、主に嫌になったのは人間関係でそしてそれに付随して生活がガタガタになってしまった。
たとえば、毎日連絡を取って毎週遊んで誕生日も祝い合った友達に彼氏ができた途端疎遠になってしまったとか、複数人で仲良くしているグループのうちの自分だけが避けられているような気がするとか、会って遊ぶくらい仲良くなったフォロワーが他の人と遊んだときはツイートするのに私と会ったときだけツイートしてくれないとか、そういったことがやけに気になるようになって、気がつけば人の顔色を窺ってはしんどくなるような状態になっていた。これ以上はおかしくなってしまう、と思って、あれだけ大好きだったTwitterのアカウントを精神に干渉しないものだけを残してほとんど消した。
誰かと自分を比べてしまう。他人にどう思われているかがが過剰に気になってしまう。裏返せば、それは自分に自信がないことの現れなのだと思った。思ったけれど、それをどうにかする方法がわからない。
そんななかで、彼氏ができた友達に、一緒に行く約束をしていたKAT-TUNのコンサートにやっぱり行くことができないと言われた。コンサートまで1週間を切っている頃だった。このようなご時世なので仕方ないし、友達を責める気はまったくない。けれど、新幹線を取り直して、チケットの譲渡を探して、ということをできるほどの気力もその時の私には残っていなくて途方に暮れた。
チケットを譲るだけ譲って、私はもう新潟には行かなくていいかも、15周年のライブが見られないのは残念だけど配信で見たし、と行かない方向に心が傾きつつも二日ほど迷った。
迷ったけれど、今の私に必要なのはどこか遠くに行くことなのではないか(新潟は実際のところそう遠くないのだけれど、私はこの1年とすこし東京から出ていない)と思って、重い体を引きずって新幹線のチケットを取りチケットの譲り先を探した。
思えばブログを更新するときは落ち込んでいたり悩んでいたりすることが多い気がする。このブログでしか私のことを知らない人からしたらいつもこんな感じなのかと思われるかもしれないけど、そんなこともない。もっと元気なときのほうが多い。元気な時はわざわざブログを更新しようと思わないからかもしれない。文章を書きたくなるのは、嫌なことやつらかったことをどうにか形にしてアウトプットすることで元気になろうとしている場合が多い。
朝6時に家を出て、新幹線に乗った。私は新幹線が大好きだ。もともと散歩や電車から外を眺めることが好きなのだが、やはり乗る路線というのはだいたいいつも同じようなもので、景色もだんだんと見慣れてしまう。たまに乗る新幹線で、自分の住んだことのないエリアの知らない景色を見るのはたまらなく楽しい。
当たり前のことではあるけれど、新幹線や飛行機に乗れば遠くに行くことができる。生まれた時からずっと東京、あるいは東京に隣接した県で育って、「遠征より近くの現場にたくさん行く」派のオタクだった(そしてつい最近まで学生でお金もなかった)私は旅行の経験が著しく少なかった。だから、お金さえ出せば新潟にも仙台にも北海道にも沖縄にも簡単に行けてしまうという当たり前の事実が、頭でわかってはいても実感がなかった。なので、ひとりで遠出をするたび、その気になればどこにでも行けるのだということが私を昂らせ、同時に安心させた。新潟につくまで、ほとんどSNSも見ないで外を眺めていた。2時間というのは案外あっという間だ。
新潟についても、朝早かったためお店はやっていなくてスタバで朝ごはんを食べた。新潟駅は仙台駅のような感じかな、と思っていたけれど、思っていたのとは少し違った。わりとこの時点で私は満足していて、ひとりで新幹線に乗って遠出して、知らない駅で降りるという行為だけでもじゅうぶんな気分転換になっていた。さらにこれでこの後KAT-TUNを見られてしまうのだから、遠征というのはお得なものだ。
帰り時間の判断も兼ねて朱鷺メッセまで歩いて行ったのだが、とにかく遠かった。なにかのサイトに徒歩20分と書いてあったけれど、私が歩くのが遅いのもあり30分以上かかった。絶対に今度からはバスかタクシーで行こうと決意する。
朱鷺メッセは小さめの武道館のような感じだろうか、と思っていたけれど、どちらかいうとビッグサイトと幕張メッセを足しで2で割って小さくしたような感じだった。
1度は来るのをやめようと思ったコンサートなので、そして私は席運がよくないので、席には期待していなかった。こんなに小さい箱なのだからどこが当たってもいいだろう、と思っていた。
物欲センサー、というやつなのかはわからないけれど、なんとセンステ横から伸びる花道の角(言葉でどう表現したらいいのかさっぱりわからないのだけどめちゃくちゃいい席ということです)の座席のチケットが発見された。当日まで席のわからないデジタルチケットはこういうところも恐ろしい。心の準備ができていない。このライブの5日前にちょうど神田明神にお参りに行っていて、それもよかったのかも、と思った。神田明神に行ったのは他の推しアイドルのライブの前で、なんとそちらも神席だった。
ファン歴がまだ浅い(5年くらい)ので、こんなにいい席は初めてで戸惑った。チケットをお譲りさせて頂いた方も戸惑っていた。
コンサートが始まって、やっぱり近すぎてどうしたらいいかわからなかった。この1年でいくつかライブに行ったけれどKAT-TUNほど規模が大きく、セットや衣装が豪華なものには行っていなかったので、からだに響く大きな音や高そうな布をふんだんに使った衣装からは「ライブに来たのだ」ということがとても久しぶりに感じられたような気がして嬉しかった。KAT-TUNのコンサートでは火が頻繁に使われるというのは有名な話だが、私はあの火の熱さを感じると生きているなぁ、と思う。
『青天の霹靂』はセンターステージで歌う曲で、水の演出が美しかった。上田くんがマントで水を飛ばすのがよく見えた。水の演出は何度も出てくるけど、どれも配信で見たよりもずっときれいで目を奪われて、やっぱり配信で見るのと生で見るのは別物だと再確認した。水の演出のあとには毎回大勢のスタッフさんが急いで床を拭いていて、多くの人の力のもとにライブは成り立っているのだなぁと思った。
配信で見た時にはいろいろな曲をやろうとするかわりに1曲が短くなってしまっていて入り込めないと感じた。けれど、現場で見ていたらそんなこともなくて、むしろ各パートごとに「この年代が好きだった人を刺す」という明確な意図が感じられるのがいいなと感じられた。個人的には『歩道橋』が聞けたことが嬉しかった。
特にLe cielで海賊帆(だよね?)の映像と今の会場で歌っている映像を同時に流す演出がすごかった。当時を知らない私でもぐっときたのだから、当時を知っている人はもう正気を保てないのではないかと思う。曲の最後に映像を投影していた幕が落ちる演出も、過去を大切にしつつも前に進んでいくという意思が感じられるようでいい。
今回のライブを通して一番好きになったのが『ツキノミチ』。デビュー前の曲であり、そして私はバラード調の曲があまり好きではないのでこれまで本腰を入れて聞いたことが正直なかった。投票の結果今回のCDに収録されることになり、初めてしっかりと聞いたように思う。
「本当の愛情を求めては ねぇ、いけないの?」
「タネも仕掛けも見え透いた街で いろんな手品 見てきたけど その言い訳が嫌で 嘘つかないこと決めたよ」
音源を聞いた時点ですごい歌詞だなぁ……と思ったのだけど、リフターの上で小さくなって座ってこの歌詞を歌う亀梨くんの背中を見ていたら愛おしくて切なくてめちゃくちゃになってしまった。
KAT-TUNのデビュー前~6人くらい年代の曲ってどれもひりつくみたいな生き急いでるみたいな、あの年の男の子だから歌える曲が多くて、そしてライブの映像やメイキングからも同じような匂いがして、高校生だった私はその映像を見てKAT-TUNを好きになった。自分のいる場所が窮屈そうで毎日なにかに焦ってどうしようもなくて、けどそれを吹き飛ばすくらいのパワーとキラキラを持っているところがいいなぁと思った。KAT-TUNは私より一足早く大人になってしまったけれど、私には今でもまだこの頃の曲や彼らが必要になることがある。そんな中で、今でも昔の曲を歌ってくれるのは素直にうれしいし、逆に今の3人が歌うからこそ出る魅力もあるのではないか、と思う。
『ど~にかなるさ』が大好きで投票もしたんだけど、今回選ばれた3曲はどれもセットリストの中で外せないマスターピースになっていたし、この3曲以外はありえないと思わせられるほどだった。それでも『ど~にかなるさ』は生きているうちに1度くらいライブで聞きたいし、『Messenger』も好きだし、今回ランクインしなかった曲もどうにかどこかで音源化と披露の機会を作ってほしいな……。
10Ksに織り込まれた歴史は全部映像の中で見たものだったけど、今回のライブでは私がファンになってからの5年間もなぞられていることが当たり前だけど嬉しかった。10Ksで見た休止前最後の3人の姿も、復活した時の姿も、3人になってからはじめてのシングルもアルバムも、夏のツアーも、これまで過ごしてきた時間を一緒に振り返ることができるのはとても嬉しいことだし、これからの5年も10年も3人が楽しそうに活動していく姿を見ていたいと感じた。
『Roar』はCDで聞いていたときからずっといいなと思っていたけど、生で見てもやっぱりいい。曲も歌詞も最高。「未来を塞いだ壁は自分でしか壊せない」って歌詞がKAT-TUNらしいし勇気をもらえて大好き。シングルを出せることもコンサートができることも当たり前ではないということが数年で痛いほどわかって、こうして最新のシングルを歌う3人をコンサートで見られることがこのうえなく嬉しくて、この嬉しさを忘れたくなくて何度も噛みしめた。
実際のところコンサートの記憶がいつもの10分の1も残っていなくて、近すぎると処理能力をオーバーしていまうのだな……と思った。楽しかった記憶と、近くで見た3人があまりにも美しくて呼吸が止まりそうになった記憶だけがうっすらと残っている。
ひとつだけ、はっきりと覚えていることがある。『Will Be All Right』で目の前にいる上田くんがステージを踏み鳴らした音がすごく大きくてびっくりした。なぜだかその音がひどく愛おしく思えて、泣きたいような気持ちになった。マイクを通していない上田くんが出した生の音を間近で聞いて、生きている……と思った。目の前をリフターで上がっていく上田くんを下から見上げて、生きている間に上田くんをこんなに真下から見上げる機会が今後あるだろうか、と考えた。上田くんが足を上げたとき靴の裏が見えて、衣装のツアーTシャツに開いている穴からお腹が見えた。意外と覚えていますね……。アイドルのことを簡単に神に例えたり信仰……って言ったりするの自分がやるのはあんまり好きじゃないんだけど(信仰するタイプではないので、他の人は好きにしたらいいと思う)このときばかりは祈るような気持ちで上田くんを見上げていた。好きな人があまりにも近くにいると祈ることしかできないらしい。というか、上田くんに対する感情は愛でも恋でもなくて、ただ上田くんを見ると些細なことなんかどうでもよくなるのは事実で、自分でもなんだかよくわからない。
気がついたら昼公演が終わっていて、呆然としたまま会場を出た。本当に記憶が全然残っていない。連番した方が初対面だけれどとっても優しくてお話が面白い方で、一緒に昼ごはんを食べてお土産を買った。一緒に朱鷺メッセにもどって、夜公演はお互い別々の人と入るので解散した。こちらが持っていた昼公演と夜公演のチケットを交換していただいた方と一緒に夜公演を見て、ひとりで新幹線に乗って家に帰った。
私はジャニオタの友達が少ないのだけど、チケットの交換などで関わるKAT-TUNのファンの方々はみんな優しい方で、コンサートのたびにいい思い出ばかりが増えていく。今回も例に漏れず楽しいことばかりだったし、1日関わらせて頂いた方々がみんな優しくて申し訳なくなるくらいだったので私も人に優しくしたいなぁ、と思った。
きっといつもならもっといろいろ覚えていて、コンサートの感想なんかをいっぱい書いたりするんだろうけど、別に覚えていなくてもいい、と思った。早かれ遅かれいずれ忘れるのだ。べつにすべてを覚えていようと思ってライブに行くわけではない。楽しいことがあったという記憶、ライブに行けば日常を忘れられるという希望があることが私にとっては重要なことだった。
ライブに行ったからといって、私の抱えていた悩みは1ミリも解決していない。けれど、不思議と新潟に行ってからは以前よりもすこしだけ気分が軽くなったように感じられた。遠くに行くこと、KAT-TUNを見ること、おそらくそのどちらかだけではなくて、どちらもが今の私には必要だった。今回一緒にライブを見た方々ともライブがなければお会いすることができなかったわけで、このご時世では難しい面もあるがやっぱりライブはいいな、と思った。
不要不急という言葉が一部で使われているけれど、ライブを見て息ができるようになることだってある、と再確認できた。アイドルは直接的には私を救わない、けれどそれでもアイドルは救いになり得るのだ。今回、新潟に行く選択をして本当によかったと思う。
私の15周年のライブは新潟が最初で最後だけれど、オーラスまで無事に開催できるといいなと思う。そして、本人たちも言っていたけれど、15周年はまだ始まったばかりだ。みんなで楽しい15周年を過ごせること、それから来年も再来年もライブで会えることを願っている。
ドルオタ目線で見る初めてのKAT-TUNコン
自分のこと
3人:5万人
声援が黄色い悲鳴
衣装が豪華
演出がすごい
照明がすごい
THE D-MOTION
In fact
KISS KISS KISS
BOUNCE GIRL
UNLOCK
君のユメ ぼくのユメ
演出のストーリー性
楽曲についていろいろ
WHITE
君が生きるこの空の下生まれてよかった
PERFECT
春夏秋冬
DON'T U EVER STOP
MOON
KISS KISS KISS
CHANGE UR WORLD
TEN-G
GREATEST JOURNEY
PRECIOUS ONE
上田竜也というひと
「(叶った瞬間に)努力は努力じゃなくなる」「有言実行するからな!」「KAT- TUNのためになったんじゃないかと思う」
KAT-TUNとファンの10年
ミュージカル ハートの国のアリス~The Best Revival~
本編について感想をまともに文字にしたことがなかったしTwitterだと流れてしまうなあと思ってブログを作ってみました。やりたかったんだよねブログ。数年前にハートの国のアリスアニバーサリーverをプレイ(ただし非コンプ、記憶もおぼろげ)、初演はユリウスENDとブラッドENDのみ劇場で見てそれ以外はDVDで見てます。わたしの主観で書いてる備忘録でしかないのでなんか色々許してください…
深い闇抜けて ひろがる異世界
愛されること
かけがえのない命
「私を特別に思ってくれる人なんていない。これからだって現れない。だって、私にも特別と思える人なんていないから。」(原作より)
ゲームにはルールがある
「純粋にゲームを楽しむ者もいれば、抗う者もいる」
ゲームをやり続けなければ この国では生きていけない
エースとアリス
「俺はそのままの君が好きだけど!今のままの、歪んでる君が」
「前にエース、言ってくれたじゃない!歪んでる私が好きって。それと同じ、私もいつも道に迷っている、どこか掴み所のないエースが好きよ」
生きることは
「生きることは、それほど難しい」
君のそばにいる
「でも、あなたは夢の中にしか……」
「私はいつも、君のそばにいる」
この台詞、このシーンが現実の状況とリンクしてめちゃめちゃつらくて千秋楽に近づくほどつらくて。クインロゼは潰れてるしきっと最初で最後の再演でもう会えない。夢の中の存在でしかない。それでも、って画面の中の、舞台の上のキャラクターたちが最後に投げかけてくれる言葉みたいで今思い出してるだけでもしんどい。
日替わり
キャラ(END)別感想
「私の帰りを待っていてくれる人がいる場所、そこが家。」(原作より)
「姉さんだけが私をちゃんと見てくれていた。だから姉さんを悲しませるようなことは、したくないの」「あなたほど私を愛してくれる人はいない」
「私、もう帰れないんだから!……あなたがいない世界へは、もう、帰れないの」
「あなたは1人でもやっていけるでしょう?」「やっていけるさ!……でも、2人で迷ったっていいじゃないか」
「俺に会えなくなってもいいから帰りたいんだろ!?だったら殺してくれよ」「あんたがいない世界で生きるなんて死ぬよりも辛いんだ」
「俺はあんたが好きで好きで、ずっと一緒にいたいだけなんだ」